2018年から振り返る「スマブラDX」オフって何だ。ガチ勢ってなんだ。その1
なんか初めてオフに行った時の話が話題なので自分も書きます。
何故スマブラを始めたか。
どうオフに行ったか。
強くなったのか。
自分語りのガラク。
これを見て新規が増えたらいいな。
自分は子供の頃、任天堂製品が好きで色々なソフトを持っていました。当然、DXもその中にあります。当時は主役キャラを使うのが好きだったのでマリオを使っていました。ハード持ってる奴が強い理論で、当然自分に勝てる人はいませんでした。
しかしDSやWiiが出始め、中学、高校時代になるとDXはもう全くやらなくなります。
ちなみに村人とは中学からの付き合いです。
時は2012年。
大学に入ります。
当時はゲームはそこそこ好きだったものの、ガチ対戦という文化も知らなかったです。
自分は大学に入ったらある2つの事をやろうと決めてました。
1つはいつかコミケで本を出したい、という野望の為に漫研に入ること。
1つはなんか楽器をやりたいと思い、音楽系サークルに入ること。
無事に漫研とjazzサークルに入り、大学生活がスタートしたわけです。
この漫研に入ったことがスマブラDXとの出会いの大きな2つの要素を孕んでいました。
まず1つ。
この漫研の部室が、何故かブラウン管とスーファミ、64、GC、Wiiまでのハードがずらりと揃っており、常に誰かが遊戯王やゲームをやってるという、ゲーム部のような部室だったこと。
最初は絵の上達目的で入ったサークルでしたが、自分もゲーム好きの負けず嫌い。色々なゲームが出来ると通いづめるようになるまでそう時間はかかりませんでした。
そして2つ。
わっちという男が在籍していたこと。
わっちは現在スマブラDXにおける海外広報とかを担っているプレイヤーです。
間違いなくaMSaプロと並んで「界隈の事知りたいならフォローしておくべき人物」です。
この時わっちは海外に半年間留学しており、自分と会うのは前期が終わる半年後です。
わっちとの出会いを少々。
このサークル、毎年恒例で部員紹介の冊子を作るのですが、わっちのページが無茶苦茶でした。
「総受けのわっち」「男でも女でも連絡してくれや」「ホモ」「わっちんちんマイケルのMはドMのM」「ホモ」「ホモ」あからさまにわっちが書いてない自己紹介文なのですが、当時はそんな事よくわかっておらず「なんですかこれ?」と聞いた自分に、先輩は
「こいつはわっちって言ってな。今アメリカに筋肉留学してる色黒のホモなんだ。気を付けな」と真顔で言い放ちます。
2秒くらい考えればどう考えても嘘だと見抜けるのですが、当時は若く、人を疑うことを知らない、世が世なら冥王ハーデスの器にされるほどピュアなあやたか少年は、あまりにも真顔から放たれるそれを寸分の疑い無く信じました。
「怖い人がいるんだなぁ」というどこか遠くの世界の話位に考えていました。
仮に本当だったとして、それをのさばらせているサークルもヤバイし、これを自分で書く人間も相当ヤバイのですが、全く疑問を持ちませんでした。
かくしてわっちに対し「アメリカに筋肉留学してる色黒マッチョのホモ」という第一印象を植え付けられました。
てへ。
さて、このサークルをきっかけに遊戯王を始めたり、MTGをいきなりレガシーから始めたりしたのですがそれはまた別の機会に。
この部室、この中でもスマブラDXがよく遊ばれており、かつ他のゲームと比べても練度が明らかに違いました。
小ジャンプ、絶、クイックブラスター等の動きをファルコ使いの「やさお」という人物が持ち込み、狭いながらもオフのような環境で揉まれていました。この人は自分の成長度合いを表すのに良いので名前を出します。ちなみにわっちと同じ学年でした。(自分の2個上)
当時サークルによく来る面子の持ちキャラが、フォックス、ファルコ、シーク、ピーチ、ドクマリとキャラも人も揃っていました。
「スマブラDXですか!懐かしい!昔めっちゃやってましたよ!」
言い放つあやたか少年。
完全にカモのムーブです。
あやたかマリオは当然やさおさんを始めとする方々にボコられました。
一応絶や細々したテクニックなんかを教えて貰いましたが、練習嫌いな自分はすぐに飽きてしまいます。
当時はXが最新作だったのですが、こちらはまだ勝てた為、Xの方をよくやるようになりました。
そんな状態でたまにDXをさわる程度の状態が続きました。
時は少し経ち、前期が終わり、後期が始まりました。
新入生の中でもそこそこ部室に顔を出しており、もうサークルに会ってない人はいないなー位に思っていましたが、いざ部室に行くと知らない人物が中心で遊戯王をしていました。
(誰だこの人、まだ会ったことの無い人いたっけ)
そう思っていると先輩が「こいつがわっちだよ」と教えてくれました。
?????
色黒のマッチョじゃねーじゃねぇかよ!!!!!!!
さては筋肉留学も違うなコレェ!!!!!!!
ここで嘘をつかれていたことに初めて気づきました。
今10代の皆。人はこうやって大人になっていくんだよ。
この頃のわっちはアイクラメインと言うよりは、サムスとかリンクとか色んなキャラ使いますみたいな感じでした。
わっち当時はも面倒見がよく、同じ新宿方面に帰る勢として一緒に帰ったりしてたのですが、1つ確かめないといけないことがありました。
わっちの印象の「アメリカに筋肉留学してる色黒マッチョのホモ」の内、消えたのは『筋肉留学してる色黒マッチョ』の部分です。
そう。『アメリカに留学してるホモ』である可能性はまだ残っていました。
純粋ピュアなあやたか少年は、帰りの小田急線、そこそこ満員の電車の中、わっちにだけ聞こえる小声で問いかけます。
「わっちさんってホモなんですか?」(当時はまだ敬語)
この時の事をわっちはこう振り返ります。
「留学から帰って来て同じ方面に帰る後輩が出来たと思ったら、そこそこ満員の電車で『わっちさんってホモなんですか?』と言ってくる奴だった。仮に俺がガチホモで『そうだよ』と言っていたらコイツはどうしてたんだろう」
こうしてわっちと奇跡的な出会いをした自分は次第にスマブラDXをやっていきます。
時は秋。学祭の季節です。
やさおさんを始めとする先輩方はここで「俺ら強いんじゃね?」と学祭大会を開きました。
わっちは当時64の方が自信があったようで、別のサークルが開く64の大会に、自分もやさおさん達が出るのなら勝てないしと64の大会に出てました。
まだガチ勢じゃなかったです。
勝てないから出ないってのがなかなか。
さて、意気揚々と開いた学祭大会ですが、なんとやさおさんを始めとする先輩方が「サテライト中野」という人物にボッコボコにされて終わる結果となりました。
当時のスマブラDXの環境は、今と比べて大会やオフも少ない状態でした。
そんな中、あのgucci宅が開かれ日本スマブラDX界のレベルは上がっている、そんな環境でした。
そしてgucci宅のメンツは、大会の少なさから「スマブラDXの大会」と聞くや否や片っ端から参加していたという経歴を持ちます。
そう、このサテライト中野さんが当のgucciさん本人です。先輩方は図らずとも全一と対戦する機会に恵まれたわけです。
結果は大敗。自信のあったカードも砕かれ最強の壁の高さを知ります。
この頃から第一線で戦ってるgucciさんマジでヤバイ。
ここで感銘を受けたのは大会に出ていないあやたか少年。
(え、あの先輩方に余裕で勝てる人がいるんだ)
と思いました。
俺も負かしてやろうと思ったわけですね。
マリオではダメだ。
メインを決めよう。
わっちに
「今部室で誰も使っていなくて、一番強いキャラは何?」と聞くと
「プリンが空いてて強い」という返答が帰ってきました。
僕のメインが決まりました。
「眠るを決めたら勝てる」という分かりやすい勝ち筋。
復帰に置いて最強の5段ジャンプ。
強キャラにありながら使用人数が少ない。
わずか5秒ほどで決めたプリンですが、恐ろしいほどに自分に合っていました。
モバマスを始めたのも確かこの頃ですね。
いやー懐かしい。
最初は杏ちゃんとかが可愛いと思ってCute選んだんですけど白坂小梅ちゃんという娘と出会ってしまったんですねなんか何で小梅ちゃんを担当にしたかとか全然思い出せないんですけど気がついたら小梅ちゃんが担当になっててすげぇ可愛くてマジ娘って感じでこの辺りから小梅ちゃんのSレアが凄い増えてなんかヤバかった。
最初はHBOXの眠るコンボ集みたいな動画を見つけ、とにかく何処から眠れるかを学びました。
上投げ眠る、左右転がり眠る、しゃがみ眠る。
眠るの基本的なコンボはこの辺りで覚えました。
もとから反射神経が高いのは自負してましたし、ゲーム上手いんですよ俺えへへー。
これだけで部室ローティアの人には大分勝てるようになりました。
それからも箱の動画を見続け、わっちもアイクラメインになり、部室で切磋琢磨、やさおさん達にもぽつぽつ勝ちを納められるようになった頃、わっちが見つけてきました。
「スマブラDXの宅オフってのがあるらしい」
ーー出会いーー